日本の和錠について

日本には古くに和錠・阿波錠(からくり錠)というものがあり、それらは主に蔵などに使用され錠前という目的よりも富の象徴として飾られることを主としていました。錠前は、戦が無くなり刀を作ることを稼業としていた鍛冶職人達が暇を持つようになり、だんだんと鍛冶職人達が錠前作成に移行していき盛んになりました。それぞれ大ぶりで肉厚・重量感など意匠に富んだ遊び心が溢れた錠前が生まれ、からくり仕掛けとなった錠前が多いようです。富の象徴以外には、神社の神殿にも神社錠があり、防犯以外の目的として神々の世界と世間を隔てる結界の役割を持っていました。しかし和錠は蔵を持つような財産のある者だけが使用していたものであり、庶民は長く財産を持つような時代ではなかったため、せいぜい心張棒を使う程度で済み、ようやく明治時代になり鍵が利用され始めたころには、すでに南京錠が伝わっていた為、和錠が使われることはありませんでした。和錠の代表的なものに、安芸錠、阿波錠、因幡錠、土佐錠があり、安芸錠は広島県で作られ中央が丸くなった大型で丈夫なものが多く、別名びき錠とも呼ばれる日本四大錠の一つです。阿波錠は徳島県で作られた和錠でからくり性にすぐれたものが多いです。因幡錠は鳥取で作られ、大型ですが薄く軽いものが多い。土佐錠は高知県で作られ重圧感のある大型なものが多く鍵穴が隠されているものもあります。